INCENSE KITCHEN 店主:後藤 恭子さん
今回のインタビューは、宇治市宇治半白にある餃子専門店の「ミヤコパンダ」さんへうかがった。外食の罪悪感や大量生産の味気なさを感じないような食事を楽しんでいただこう、というコンセプトのもと誕生した、安心安全な手作り餃子のお店だ。
通常の餃子はもちろんのこと、今や有名な看板メニューにもなっているレモン餃子など、ミヤコパンダならではの餃子も多く販売している。そんなミヤコパンダの店主である池田 景さんにインタビューを行った。
-本日はよろしくお願いします。では早速ですが、まずはじめに池田さんがミヤコパンダを経営されることになったキッカケ、経緯をおうかがいしてもよろしいでしょうか
遡ればですけど、私がまだ小さい頃から父や母から「大きくなったら店をやれ」っていうのはずっと聞かされていまして「何でそんなに店をやれっていうのかな?」と思ってたんです。
そりゃあ小さい頃は「あれになりたい、これになりたい」っていう色んな夢がありましたし、大人になってからも普通に就職はしました。でも職業を限定されてた訳ではないですけど「ゆくゆくは年老いたら店をやれ」みたいな話はずっとされてたんですよ。
で、「それがなんでかな~?」と思ってたんですが、父と母が割と年齢差がありまして、父が亡くなったら私は一人っ子なので、母が一人残されることになったらちょっとかわいそうだ、と父が思っていたんでしょうね。でもお店をしてたら常に人がお店に来てくれるし一人ぼっちになることがないと。私と母の二人でお店をやって、ゆくゆくは母が一人でやればいいやん、みたいな感じで言ってたみたいなんですよ。
でも母が亡くなってしまいました。私が就職してから1年程経った時に病気になって、そこから3ヶ月くらいで亡くなったんです。母が病気の時は介護をするのは私一人しかいなかったんで、仕事も辞めて看病をしてたんですけど、母が亡くなって暫くして「また仕事に復帰しようかな」と思った時に、今まで社員で行ってたお店にアルバイトとして戻ることになりました。それでそこで働いてると、父が「このままアルバイトって訳にもいかないだろう」「店でもやったらどうだ?」と、また言い出したわけです。
今度は私が孤独になると思ってたみたいで。どうやら父は、私が一人っ子であることに負い目を感じている部分があるんでしょうね、私が一人ぼっちにならないように、というのはずっと言ってたんですよ。
それで最終的に「じゃあお店やろうかな」って言うと、父から支援が来るんです応援してくれてるんで。「店をやるなら儂のコネクションを使って」って(笑)父は会社経営してたので人脈は広かったんです。それでまず最初に何をやろうかな、ということで色々と考えた末に「パン屋さんやりましょう」ってなったんですよ。母が家でパンを作るのが趣味だったということもあって。
それで父も「パン屋さんやったら女の子がやるのにもいいだろう」ってことで、私が23歳の時に桃山南団地辺りの場所でパン屋さんをはじめたんですね。
その時は私が「パン屋さんやる」って言うと、友達も「自分もやりたいやりたい」みたいな感じだったので、知り合いを集めて4人ぐらいでスタートしたんです。
パン屋はショッピングセンターのテナントに入ってたので広かったんですね坪数も。それで結構お客さんも来られて物凄い売れたんですよ。もう行列まで出来て。それなのに全然儲からへん、むしろ赤字。やっぱり1年目2年目3年目って赤字が続いて、ようやく黒字になったのは5年目ぐらいかな。
その時に色々勉強したんですね。こういうやり方したらあかん、とか。それでそのお店をやってた5年の間に結婚して、旦那に「店を仕切ってくれ」って任せるんですけど、もともとは私が最初に立ち上げたお店なので、やっぱり2番手っていうのは男の人はちょっと嫌なのかな?と思ったんです。家に帰ってもお店の話ばっかりで。
お店を任せて帰ったら帰ったで、家では「何してたんだ?自分はしんどい思いをして働いているのに」みたいに、割と喧嘩になってしまうことが多くて「いやこれ夫婦で店やるのはあかんで」って思って。で、まあ色々喧嘩して結局は離婚したんですよ。でもお店はあなたにあげるってその旦那さんにあげて。そんなこともあったからもう、ちょっと癒やされたいなって思って。
で、私は常々から海の近くに住みたいって夢があったんですね、未だにありますけど。京都って北部の人はともかく海が遠いでしょ?大阪まで行くのも結構時間がかかるし、神戸に行くのも割とかかる。で、海って言ったら湘南かなと思って(笑)それで神奈川の方に7年くらい行ってました。割と気に入ってまして。
-そうだったんですね
向こうでもやっぱり最初はパン屋さんで働いていました。持ってるスキルがあるので割と重宝してもらって。それで色んなパン屋さんで働いたので、そのお店ごとのやり方っていうのは大体分かりましたね。やっぱりパン屋さんばっかりっていうのもあれだし、他にもお寿司が好きやからお寿司屋さんでも働いたり。
で、最終的にスーパーのレジです。スーパーのレジをやったんですがそれが楽しくてしょうがないわけです。テトリスみたいにお客様の持ってきた商品をカゴに納めて行くのがものすごく楽しいんです。いまだにスーパーのレジは好きですけどね。
普通は「ピッ・ピッ・ピッ」て商品通すのを、「ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!…」っていう速さで、音を繋げたくなるくらいの速さで通してたら、もうお客さんが感動して「ちょっと感動してここに並んじゃったよ」って他所の列からわざわざ私のレジまで並びにくるお客さんがいるくらいでしたよ(笑)
で、そんな感じで気楽にやってたんですけど、実は向こうでもそのうちパン屋さんをしようと思ってたんです。なのでいい場所があればなって、いい場所がないかなって探しながら仕事をしてました。それでいい場所が見つかったので建物も建てて、っていうところで今の旦那と出会って結婚したんです。それで暫くして子供ができて。
今の旦那とはネットを通じて知り合ったんですけど、大阪の人だったんで遠距離ですよ。で、私が家を建てちゃってたので旦那も神奈川に来たんですけど、子供ができたので、今度はうちの父が孫に会いたくて。でも遠いじゃないですか父が孫に会うとなると。割と歳も取ってたんで。なので「帰ってこい帰ってこい」って言いだして。
それでまあ、ここでずっと暮らす意味も無くなってきたなって思ったんですよ。海は近いけどそんなしょっちゅう海に行くわけでもないし、サーフィンが趣味なわけでもなくて、たまに行ってシラス丼を食べたりするくらいなので(笑)まあまあ京都にいてもできんことないかと思って。
でも神奈川ってすごく住みやすいところで、都会に出るにも近いって思ってましたけど割と都会にも行かないんですよね。京都に住んでいるからといって、じゃあ大阪にしょっちゅう行くかっていうと私はそうでもなくて。普段のお買い物もイオンに行ったら済んじゃうし。
気に入っていたんですけど父も歳だし親孝行もあるし、じゃあ帰ろうかなって。そうすると父がもう場所を見つけてて「ええとこ見つけたし」って。何かその前から「良い場所見つけたら相談するわな」って言うてて、「でも相談する必要もないくらいに良いところやったら勝手に買うわな」って言うてたんです。で、もう買ってたんで(笑)それが今のここね。
まあ元々母が亡くなった時に私は家を相続してて、それでその家を売り、向こうでまた家を買い替えて、向こうの家も売ったのでここが買えてる訳ですけどね。順繰りです。
それで京都に帰ってきたんですが、下の子も生まれたのもあってなかなか商売もできなかったんやけど、じゃあそろそろやろうかっていうタイミングが来たのでまた商売を始めた。
それで「何で餃子屋さんなのか?」っていうのは皆さんから大体聞かれます。その時に私が話すのがここからですよ。
-ありがとうございます。よろしくお願いします。
先程話した関東に行ってる時に餃子に飢えたんですよ。これはお金が無い時とかに助かるんですが、京都の場合だとマンションのポストなんかに餃子の王将の割引券がよく入ってたんですね。それを持って王将行ったらすぐに餃子が安く食べれてお腹も一杯になってたのが、あっちに居た時はまず身近に王将がなかった。
なので餃子を買いに行くんですが、スーパーで買っても高い、スーパーで働いてても高い、なのでどこか安い餃子屋さんがあったらいいのになあ、とずっと思ってて。それやったらもう自分でやっちゃえって思って、自分で作り始めたんですよ。自分が食べる分をね。
そうしたら1回作ると割と100個とか普通にできる。逆に1人前2人前で作るのが難しいんですよ。なので、100個とかできた時に友達とかに振る舞っていると「この餃子美味しいね!」「餃子屋さんやったらいいのに」と言われるわけです。「餃子屋さんいけるかもしれへんね」と。そんな感じで割と周りから餃子屋さんをやったらどうかって言われてたんです。
そんな中で私がパン屋さんをやっていた時に思ったのが、パンってその日に売り切らないといけないんですよ。だから割とロスが出るんです。急に雨が降ったりとか、前日に酵母の仕込みをしてるんですが、そうしたらもうパンの酵母は育つので、焼いてくれ焼いてくれってうるさいわけですよ、そのパン達が(笑)「おれもう今が焼き頃」みたいな(笑)。そんな感じでずっと焼け焼け言うてくるんで止められない。ちょっと今日はお客さんが少ないし待っててって言えないんですよねパン達には。「もう今焼いてくれ、絶対に焼け」って言うんで。
でも焼いてもこの数売れるか?って。ロスになるの分かってて。まあ前日の読みの甘さもあると思うんですけど。そんなんで今焼いても売れへんやろっていう時でも焼いてあげないとあかん時がある。売れ残るのが分かってて焼いてあげないとあかんということがある。
後は、焼き立てパン屋さんっていう形でやってると、売れ残って焼き立てじゃないものはお客さんには出せないとか、そういうのもあって割とロスが出やすい。ロスが出ないように数を抑えるにも、店舗が広かったので商品が少ないしょぼしょぼな状態で売るわけにはいかなかったんです。やっぱりある程度は棚を商品で埋めて多く見えるように売ったり。パン屋さんではそういう苦労があったので、まずロスが出ない食材であるというのがひとつの条件。
そして店をやるなら取り扱うのは食品っていうのは決めてたんです。何でかって言うと、それまでに雑貨屋さんとかでも働いていたんですけど、棚卸しがすごく面倒なんです。数を数えるっていうのが。それで「いやいや雑貨屋は駄目だ」と(笑)
もちろんロスが出るっていうことを考えると雑貨はロスが出ないですから良いですよ。その日に売り切らないといけないってわけでもないですし。そこは良いんですけど棚卸しだけはすごく嫌だった。数字が嫌い(笑)。
なので食べ物屋さんやったら売り切りなのでいいなっと思って。で餃子は勿論自分自身が好きっていうのもありますけど、冷凍でも売れる。通販で売ってみたいっていうのは最初からあったんですよ。
パンも通販で売れたらなって思ってたんですけど、パンの通販って割と食パンとかが多いのかな?今でもね。だからあんパン1個とかクリームパン1個とかそういう単位ではなかなか売れないですし。でも餃子やったら冷凍したら売れるし。で割と老若男女が好きじゃないですか餃子って。しかも具によっては可能性は無限やなと思って。
実は1回わらび餅入れたことあるんですよ。
-餃子にわらび餅!?(笑)
でも美味しかったんで、餃子の可能性は無限やなって思って(笑)。相性によっては合う。甘じょっぱい所が美味しいと思ったし、割と無限の可能性を秘めているぞ、深いなって色々思って。で、餃子屋さんにしましょうと。
それで最初は私なんかは特に料理ができないので、子供に毎日毎日違うご飯を作ってあげたりとかっていうのが割と負担なんですよね。なのでそういうお母さん達、例えば仕事から帰ってきて疲れてるとか、1日中子供と公園で遊んで疲れたとか、子育てして疲れたし晩御飯作るの面倒くさいっていうお母さん達に「あ、そう言えば冷凍餃子あったわ」ってなればなと。
そこで難しいのが、スーパーで売ってるような冷凍餃子を出すと「私、冷凍食品は絶対出しません」って人がたまにいるんです。お弁当にも冷凍食品は入れないとかね。冷凍食品が悪というような罪悪感みたいなのを感じる人はいるんですよ。
でもお家で作ったものを冷凍しておいたら、それは冷凍食品じゃないから悪ではない。罪悪感はないんですよ。工場で作ってるような冷凍食品だと罪悪感が出るんで、じゃあお家で作れるレシピでお家で作るような餃子を冷凍しておいて、それをストックしておけばお母さん達は罪悪感を感じないで家族に食事を提供できるんじゃないだろうか?と思ったんですよね。
それでもう特別なことは何もしないで、本当にお家で作れるようなレシピで、手作りで餃子を作って売り出したんです。それがまあきっかけですね。
-ありがとうございます。何かミヤコパンダさんではレモン餃子とか、あまり見たことがないメニューが結構あるなという印象がすごくあるんですけど、先程おっしゃられていたわらび餅とか、その辺のアイデアはどういったところから来ているんでしょうか?
アイデアと言うか、元々はメニューは3つだけにしようと思ってたんですよ。一人でできる範囲のお仕事をしようと思ってたので。なので1つ目は普通のにんにくの入ってない白菜の餃子、うちのお店で言うとベーシックって言う商品。で、2つ目はチーズが入っているのが好きなので、チーズ入りの餃子。そして3つ目が月替りのメニューを入れようと思って、その3つのメニューだけでやっていこうと思っていたんですよ最初は。
それで月替りのメニューで、シソが好きなのでシソを入れた餃子を出したら、これが一番好き!って人が女性に多くいて。「それじゃあシソ入りは残すか」って感じでそのメニューを残して。
そしたらやっぱりね「ニンニク入ってるのはないのか?」って言う人が結構いてて。「入ってなくても結構ニラも入れていますので食べごたえありますよ」って言うてたんやけど、「ニンニクが入ってなかったら私達の世代はちょっとねぇ」って、それは結構年配の女性から言われたんですよ。そんな言われたなら「じゃあニンニク入れよう」ってなって(笑)。
でも、どうせニンニク入れるなら今まで入れずに来てたので、普通じゃつまらないから、ガッツリきざみでいっぱい入れたれって思って、これぞニンニク餃子っていう。餃子の中に入ってるニンニク、じゃなくてニンニクが主役のニンニク餃子として売ろうと思って。それがガーリックさんっていう名前だったかな最初出したときは。
そしたらそれがすごい売れて。やっぱりニンニク入りって出るんやって思ったんですよね。で、ガーリックさんも期間限定でやったんですけど、年に1回くらい復活する感じで残して。
そのうち色んな餃子屋さんにも勉強にいったんですけど、やっぱり普通の餃子を求められるシーンは多くて。私が売りたい餃子とお客さんが求めてる買いたい餃子にギャップがあることに気付いて、お客さんが買いたい餃子を作ってみようと思ったのが、今まではずっと頑なに白菜とニラにこだわってきてたんですけど、キャベツ。世の中にこれだけキャベツの餃子があるっていうのはやっぱりキャベツの需要があるということ。
後、白菜で言うと供給不足で値段がすごい高騰する事があるので、値段が調整しづらいというのもあったし、産地も定まりづらいんですよ白菜となると。南に行ったり北に行ったり。あちこちから仕入れないといけない。その点、キャベツは結構安定して仕入れられる。京都でも滋賀でも割と作っているところがあるし。それでキャベツの餃子を作りましょうと。
お客さんは多分値段が安いのがいいんだろな、というところでニラとかも何も入れずににキャベツと豚肉と、うちが絶対に入れている玉ねぎ、それにニンニクが入ってる、入ってないっていうパターンで、プレーンとホワイトっていう2種類の餃子を出したんですよ。
それは最初1,000円餃子として出したんです。その当時は30粒で1,000円で出してましたけど、そうしたらそれがすごい売れて。もうそれしか売れへんくらいになったんです。これはどうしたことかと。もう本当にプレーンとホワイトばっかり売れて、プレーンとホワイト屋みたいになったんですよね(笑)。
-それはお店をはじめてから大体何年目くらいの時ですか?
それは1年目の10月かな。4月にオープンして10月にそれを出したんですよね。
-ということは半年でそういう状態になったと
そう。それでそればかりが売れて、お客さんから「1,000円の頂戴、1,000円の頂戴」って、今でも言う方いますけどね(笑)でもそればっかり売れたら売れたで採算合わないんですよ、お客さんの為に大分値段を抑えてたのもあって。他の商品も平等に売れれば良かったんですけどね。
それでちょっと粒数を減らしたんですよ。30粒から25粒に。後は最初は毎日売ってたのを土曜日だけ売るようにしたんです。作るのも大変だったんで「土曜日だけにちょっと堪忍して」と。でも土曜日なんて来れないっていう人もいたんですけど、そこはもう「ほんまにごめんなさい」と。
それで土曜日だけ売るようにしてしばらく出してたんです。そこから世間では消費税が上がったり材料が高騰したりということもあって結局は25粒で落ち着いています。今も土曜日の25粒はずっと続けてますけど、1,000円餃子っていうのはやっぱりある意味その当時の代名詞みたいになってました。もう1,000円餃子はミヤコパンダ、みたいになってたので、それは今でも続けている形です。
それでレモン餃子も最初は月替りメニューとして出てきたんですね。アイデアっていうのは大体は私が食べたいと思うものですよ。
-1回試しに作ってみてという感じですか。
そうそう、それを入れたら美味しいかなっていうか降りてくるっていうか。レモンは肉と合うというのと、関東に行ってた時にふらんす亭っていうステーキ屋さんがあるんですが、そこにレモンステーキっていうメニューがあって、それが割と好きだったんですよね。
レモンと肉の組み合わせ、みたいな。それでレモン餃子はゆくゆくはやろうと思ってたんです。そんな中、テレビを見ていた時に、番組でどこかのバーでカクテルを作ってたんですが、まるごと凍らせたレモンをおろし金でおろしてそれを入れたカクテルを作ってる人がいて。
そうか、丸ごとレモンをすりおろして入れてみよう、だけどそうすると防カビ剤とか農薬とか、皮ごと使うのは気になると思ってたんで、絶対国産でそういうのを使っていない所のじゃないと駄目やなってことで、最初は岡山や広島とかのレモンを使ってました。ちょうど瀬戸内レモンっていう名前で盛んだったので。
それでレモン餃子を出したんですが、販売期間が終わってからも「レモンないんですか?またレモンやってくださいよ」っていう声が結構ありました。でも手間は掛かるしコストもかかるし、好き嫌いも結構分かれる商品だし定番メニューにするほどじゃないと思ってたんですよね。後、これ以上定番メニューが増えてもあかんぞと(笑)
そんな中、ちょうどその辺りの時期にちょこちょことイベントとか呼んでもらえるようになってイベントに出るようになってたんです。でもイベントって無料で出てるわけじゃないんで、お店で売るよりもどうしても値段が少し高くなっちゃうんですよね。その時に店で同じものを売ってるのに同じ値段で出せないっていうのに私も罪悪感があって。
じゃあお店で出してないものをイベントで売ろうと思って、それでイベント限定でレモン餃子を出したんです。そしたら「レモン餃子だって~」って割と取り沙汰されて、なぜか段々とレモンっていう名がクローズアップされたというんですかね。いつの間にやらレモン餃子がうちの代表餃子みたいになってますよね。もう今一番作ってるのがレモンですよね。ホワイトとプレーンをも抜いて(笑)
イベントで売るとどうしてもそうなりますよね。レモン餃子のミヤコパンダみたいに今なってます。そんな特別なことをしてるわけじゃないですよ。レモンを凍らせてまるごとすりおろして、まあ今では製法が変わってますけどね。だんだん中の果汁が邪魔になってきたので果汁ばかりが残って、今度は果汁のためにハイボールなんかを作って果汁を何とか売らなければってなってます(笑)。
-レモン餃子っていう名前もそうですがインパクトがすごいありますよね。
そうなんですかね。私がやっぱりそのふらんす亭のレモンステーキに惹かれたように、レモン餃子か!って思う人はいるんでしょうね。
-ありがとうございます。結構色々とお話をおうかがいできたんですが、これまで池田さんが色々と経験されてきた中で、一番大事にされてきたことって何でしょうか?お仕事っていうよりは生きていく上で色んな選択を決断されてきたと思うんです。
生きていく上で一番大事にしてるっていうのは、高校の時の先生に言われた言葉で、あんまり好きな先生じゃなかったんですけどね(笑)その言葉だけはずっと残ってて、その言葉が「今しかできないことを今する」。ずっと子どもたちにも言ってるんですけど「迷った時に今しかできない方はどっちか?」って考えますね。今しかできないことを今する。ですかね。
うちの場合はイベントとかに出るとその時はお金が入ってくる。じゃあそれで何をするのかっていうと、自分のためではなく、お客様や働く人のためになることに使う。例えば自動販売機を買う、塀をとっぱらって車の出入りをしやすくする、スタッフが楽になるように機械を買う、とかです。その儲けたお金で旅行に行ったり車を買ったりっていうのはしたことがないですね。だからうちは全然お金が残らないですよ。多分そういうところは多いと思いますね。
そこはちょっと人に大きな声で言えるものではないですけど、商売をする人に対してはそれはちょっと心に留めといてもいいのかな、という言葉ですね。
-なるほど、ありがとうございます。今後のお話ですが池田さんの思うミヤコパンダの将来のビジョンはどのようなものですか
始まりがあれば終わりがあると思うので、ゆくゆくは畳もうとは思ってはいます。元々10年間やったら辞めようと思ってたんですよ。そんな60歳を過ぎてまで身を粉にして働く必要があるのか?ということは思ってたので。今でお店をやり始めて5年経ってるので、じゃあ最初のビジョン通りに行くと5年後、あと5年したらお店を畳んで…のはずなんですね。
その時になったら、すごいお金が儲かっててハワイに別荘を建ててる予定やったんですけど、とてもそうはいかず、時の流れは本当にあっという間なので、気が付いたら5年目。まだ何もしてないなーっていう感じがしてますね。
じゃあお店をこの後どうするのか。お客さんに「来てくれ来てくれ」って言っといて、途中でパタリと「店畳みます」っていうのは無責任なのかなと思って。じゃあ残すとしたらどの部分をどうやって残すのかなって思ってますね。
で、今年の展開としては小倉駅の改札を出たところに新しくお店を作る予定なんです。そこのお店は地域の皆さんに使ってもらいやすいお店にする予定です。別に餃子に特化してるわけでもなく、みんなが喜んでお店を使ってくれるシステムを作って引退、ですね(笑)そうですね、ビジョンとしてはそこです。
残すのは、まず通販部門は残すと思います。一番残らないとしたら店内飲食は残らないと思います、このままいったら。今は私に会いに来てくれる人も多いし、ちょっと可愛い店内でご飯を食べてみたいと思う人もいますので。
私がいる間はずっとあるでしょうけど、実際店が手狭になってきてるのも事実で作るスペースがすごく少ないんですよ。なので、今空いてますけど2階のレンタルスペースも今年で終わらせて、作業スペースと事務スペースと休憩スペースに。従業員が増えてきたので休憩する場所がないんですよ。
私がいようがいまいがお店が存続していくシステムを作っておかないと駄目かな。もちろんお客さんからの需要が無くなれば、それはその時にお店は死ぬでしょうが(笑)需要があるような形で残っていって欲しいかな。て言うのはお客さんに対する責任。「来てくれ来てくれ」「食べてくれ食べてくれ」って言ってて「潰れます、すみません」という引き方はないのかなと思ってます。
働く人、買いに来る人、みんなが快適に不足なく働ける、利用できるって言うのを目指してシステムを構築したら私はもう引退します(笑)
-すごいですね。色々と考えられていることを後5年で
まあ、後10年は掛かるかなと思いますけどね。息子がもうちょっと大きくなって、やるっていうならやってもらいますし、うちはまだちょっと旦那が若いので。とりあえず一旦は旦那に引き継いで。ただコミュ障というのかな(笑)。あまり人の上に立つような人じゃないので。
-ちなみに旦那さんはおいくつですか?
まだ38歳かな。まだまだ働けるでしょ後20年くらいは(笑)なので、旦那を育ててといったらあれですけど、新しいお店の方にも行ってもらって旦那にも勉強してもらって。それだけでは心もとないので、やっぱり法人化しないと駄目なのかなと思ってます。このまま個人店、個人事業主では、私が何かあったりしてバタバタ倒れていくようでも困りますので。
-ありがとうございます。最後、僕の気になったところをお聞きしてもいいですか?海の近くに住みたいなというのをもって神奈川に実際住んだりとか、何か僕もすごくそこに共感できますし、いいなーって思っている部分があるんですけど、そんな池田さんが仕事ではない時間で大切にしていることだったり好きなこととかはありますか。
それはもちろん藤井フミヤのライブ行くことですよ。あの人に貢ぐことでしょうよ(笑)それは私の人生の根幹じゃないですかね。
-(笑)きっかけは何かあったんですか?熱中するきっかけが
いやもう、テレビに出てきて見た瞬間に雷に打たれたというのがあのことですよ。理屈ではないですね。一番最初に見た時は「変な髪型の変わった人出てきたな」と思いましたが、歌ってるの聞いたらもう駄目。曲が終わったら大ファンですよ。曲が終わった瞬間。きっかけはもうそれ。
でもこうやって長くファンを続けていられるっていうのは、やっぱりあの人がファンを大事にしてくれている。そしてファンは沢山のものを貰ってる。ファンに惜しみなく与えてくれているっていうんですかね。そういうところで長くファンは続けてますけど。
死ぬまでに一度どこかで会いたい。ライブ以外で。それは中学生の時からずっと思ってます「道でばったり出会ったらどうしようって」。もう妄想は止まらないですよね(笑)
それがお店やるようになってから、ちょっと可能性が上がったなって思ってて。普通の家にはいきなり訪ねてこないと思うんですよね、いくらファンだと言ってても。でもお店なら来る可能性はゼロじゃない。
で、それを訴え続けていると、沢山の人が応援してくれるようになって最近大きなウェーブになってきてます。でも私の個人的な夢なのに、何で「会えるといいですね」って言ってくれるのかなって。他のファンのみんなも会いたいでしょう。
それってある意味で疑似体験みたいなのもあるんじゃないんかと思います、ファンのみんなの間にも。私が会えたら嬉しいと思ってくれてるみたいで。みんなに「頑張ってください」って言われるし助けられてる。同志ですよね。そこが私の根幹なのでプライベートの部分はそこですよ。
じゃあ子供のことは二の次かっていうと、今反抗期で子育てが本当にしんどくて、正直何の癒やしにもならない(笑)可愛いですけどね(笑)どっちかというとすごいストレスが溜まる。そういうものも含めてフミヤが癒やし(笑)今メダカも育ててますけど、人生かけて育ててるわけじゃないんで。そっちは最近はまってるだけなので。
後、文章書くのは好きなんで、本当はもっともっとブログも書いていきたいんですけど、ちょっと最近書けないことが多くて。いつか絶対まとめて書いたるねんって思ってますけど。死ぬまでに1冊本を出すっていうのはずっと思ってましたから。
でも最近はブログとかみんなが読んでくれてはるんでそこまでの情熱はないですかね。読んでくれと言ったら読んでもらえるじゃないですか。昔は本にならなければみんなには読んでもらえなかった時代ですけど。なので本を出す夢はそこまでではなくなりました。なので、フミヤです(笑)。
-(笑)ちょっと僕も一生懸命そこは応援させて頂きます!
ぜひそうしてください(笑)もうあの人の耳には届いていると思うんです。この間、フミヤのツアーのバンドメンバーをツイッターでフォローしたら光の速さでフォローバックがあったんですよ。
で、見ると200人とかしかフォローしてないんですよ、フォロワーが数千人いるのに。すぐに返ってきたでと。これはもしかして私を知っているんじゃないか?と。そうじゃないとそんな知らない人をすぐにフォローバックしないじゃないですか。
-確かにそれはそうですよね。
そのバンドメンバーさんが私を知ってるということはフミヤはもう絶対知っていると思って。分かってると思ってますけどね。いつお店に来るか、それだけですよ(笑)
もうテレビでも伝えたし。最初は松本伊代さんに言ったんですよ、「よーいどん」に出た時に。伊代ちゃんがスタジオゲストだったので。 伊代ちゃんの旦那のヒロミさんはフミヤと仲良いんです、木梨憲武さんとフミヤと3人は仲が良いんで。それで伝えてもらおうと思って。
手紙も書いて「スタジオに焼きに行きます」ってスタジオに行って。「この手紙を~!」って伊代ちゃんに手紙をお渡しして。「ご主人からフミヤにもぜひお伝えてください」って挨拶して。そんな感じで最初は伊代ちゃんにお伝えしたんです。
で、元チェッカーズの大土井裕二さんがライブで来てくれてはった時も「フミヤに会ったら是非お伝えください」って言ったんですよ。色んな人に「伝えてください伝えてください」っと伝え続けてたら、今度はテレビの方で博多華丸さんが「何かメッセージないですか?」って言うので。華丸さんはフミヤと仲良いんですよ同じ福岡で。だから「伝えてください」って言ったし(笑)。これはもう絶対に伝わってるでしょ。
毎回ライブの時にはファンレターを持っていってそこにお店のパンフレットも入れてるんで、きっと伝わってるはず。ファンのみんなにもファンレター書く時はうちのこと書いてって言ってるから(笑)通じてるはず、きっと伝わってるはず。
-ファンの皆さんの想いがこのお店に集まってくると
そうですよ。ここに来てくれはったらファンのみんなにメッセージを書いて欲しいから壁も空けてるし、でっかい色紙も用意してあるし。
-常に準備を(笑)
準備してますよ。でも出来れば来る前に言って欲しいですよね。急に来られて私が鼻血たらしてブッ倒れてもあかんし(笑)でも割と京都には来てるんですよ。でも宇治までは来ないんですよね。世界遺産2つもあるのに。宇治に来たらもうここには来るでしょうけどね。宇治に来ないんで来てほしいですね。今度は宇治の魅力を延々と綴りたい気持ちですよ。
-まずは宇治の魅力からですね
あの方は寺社仏閣が好きなので。
-え!?それなら尚更のこと宇治ですよね!?
尚更でしょ~来ないのがおかしいくらいでしょ。宇治上神社や平等院を見ないと。お山も好きなんで大吉山にも登ってもらって。で、ここまで足を伸ばしてもろて。宇治の良いところを書いて来てもらうようにしましょうか。餃子だけでなく(笑)
-じゃあフミヤさんが来た時にはちょっと記念に動画や写真を取りに(笑)
(笑)でも著作権問題が発生しちゃうのでね。どうかわからないですね。私、絶対フミヤの写真とかネットに上げないですもん。
-じゃあ池田さんの記念のお写真ということで
そうですね。上げても良いですかって頼んで上げますよ。
-では、本日はありがとうございました。取材の最後は池田さんの藤井フミヤの歴史ということで(笑)
そうですね、そこの尺は長尺でお願いします(笑)
2021年8月13日(金)
取材・撮影 :藤川 拓哉
ミヤコパンダ オフィシャルWebサイト
http://web1.kcn.jp/miyakopanda/
ミヤコパンダ お取り寄せサイト
https://miyakopanda.thebase.in/