伝統の継承と新しい価値観のバランス、
進化し続ける朝日焼の真髄

伝統の継承と新しい価値観のバランス、 進化し続ける朝日焼の真髄

今回のインタビューは、お茶文化の中心地として知られる京都宇治、平等院対岸の朝日山の麓に窯元を置く、朝日焼におうかがいした。朝日焼は、今から約400年前の桃山時代から江戸時代に変わろうとする慶長年間に朝日焼の初代陶作が窯を築いたのがはじまりであるという。

インタビューを受けていただいたのは、当主の十六世 松林豊斎氏の弟であり、ブランドマネジャーを務める松林俊幸氏。

-本日はよろしくお願い致します。早速ですが松林さんのこの場所での役職と言いますか、ポジションをお聞きしてもよろしいですか?

「小規模な家族経営の会社で、皆が皆はっきりとしたポジションを持ってるわけではないんですけど、私が朝日焼で仕事を始めてからこれまでの中で、まず今から4年前になるのですが、仕事をやり始めて少し経った時期に『朝日焼 shop & gallery(※1)』ができまして、お店の責任者、お店のプロジェクト担当としてやっていたという部分がまず一番のポジションです。

朝日焼shop&galleryの商品
(※1)十六世 松林豊斎の襲名をきっかけに、2017年7月15日に「お茶への想いをはぐくむ空間」をコンセプトとして立ち上げられたショップ。 朝日焼を次世代へと伝える発信拠点でもある。

現在4年経った中で、今はお店にどういう器を置こうかというところであったり、企画、広報、イベント、そしてこの場所自体が色んなことが体験できる場所にしたいな、という思いがあるので、以前のコロナ前はイベントを企画したりっていうのが、太いポジションではあったんですけど、今はそこも飛び越えて色んな企画であったり、プロジェクトベースの仕事をすることが多くなってきましたね。

朝日焼というもの自体をやっていきたいことに対する仕事を取ってきたりだとか。具体的に言うと、ホテルのレストランの仕事をお声掛けいただいて、そこで自分が作るわけではないんですけど、それをディレクションして職人さんとの間に入ったりだとか、または兄が作る作品に対して、その作品が置かれるところに対してディレクションしたり、というのは今新しく増えてきています。正直、パッと自分がどういう仕事しているのかって答えるのも難しくて(笑)結構作る以外の仕事をしていることが多いです。

私は美術大学を出てその後デザイン会社に入ったんですが、20代では色々と仕事をしていく中で『仕事って色んなポジションの人がいて初めて成り立つな』ってところを感じていた中、実家に戻ってきた時に偉そうにも『朝日焼を一歩離れて広く見る人がいないな』って感じたんです。それでそういう仕事をしたいなと思って。最初はお店の仕事、それこそ販売から始めてその中で新しい商品を企画して作ったりしてました。

今はこのお店ができてプレスの対応や広報の仕事もして、その中でまた新たにお盆(※2)などを、探してきて仕入れたりだとか、永野さん(※3)と新しい物を作ったりだとか、そういったこともしています。」

茶のまわりプロジェクトの品々
(※2)(※3)お茶の空間に必要な道具を窯元がプロデュースする茶のまわりプロジェクト。宇治市の永野製作所、永野染色にて制作された道具も販売されている。(写真のお盆は永野製作所の茶盆)

-では実際に松林さん自身が色々と見てきた経験してきた中で「朝日焼でこういうことやりたい」ということで帰ってこられた、というのが今のポジションになった経緯ですか?

「そうですね。大学でガラス工芸を勉強していたので、戻ってきてからは自分でガラス作品を作っていた時もあったんですけど、ガラスのステンドグラスなどをデザインをしている会社に入ったりした中で、会社の規模としては朝日焼ぐらいの規模がすごく自分にとっては魅力的に見えたんですよね。

個人でやるのは自分には向いてないな、と思ってる部分が沢山あったし、家族の会社に入って家族の仕事をするということに対しての魅力を感じまして。自分がトップではなく、どちらかというと社長がいて自分がいる。兄がいて自分がいる、というポジションがここ最近になって動きやすくなってきたなと感じているところです。それが自分の性格に合っていたということですかね。」

-少し話変わるんですけど、松林さんがガラス工芸をしていたと知らなくて。

「そうそう、あんまり言ってないからね。」

-先月に千葉にある某工芸硝子さんに取材に行かせていただいたんですが、初めてそこでガラス工芸を作っている所を見学させていただいて、職人さんが作っている姿や出来上がったものを見てた時に、また違った良さがあるんだなというのも感じたり。後、僕は登り窯(※4)しか知らなかったんですが、それがガラスの溶解炉や中の小さいポット(※5)みたいなものを見て、そういうのもあるんだと知ったり、松林さんがそれらを勉強してこられていたのかというのが今ふと浮かびました。

「そうそうポットね。そういうのやってた。大学卒業した後に、さっき言ってたガラスのステンドグラスとか公園の大きなオブジェとかを作る会社に入って、そこで1年間働いて。1年間いたらやっぱり自分で作ってみたいなと思って、東京で2年間工房を借りて物作りをしていた中で、実家の仕事に興味を持って、実家に帰って実家の仕事を見ながら自分で物を作っていたのが5年間。」

(※4)斜面作られた窯で、重力による燃焼ガスの対流を利用し、炉内の製品を焼成時に高温に保てるような構造になっている窯の形態。(※5)溶解炉内にあるガラスを入れておく「るつぼ」のこと。

-ではその工房で実際に2年間はご自身の作品みたいなものを沢山作られていたんですか?

「全部で7年ぐらい作っていたかな。こっちに戻ってきてからの5年間でもガラスをやっていたので。」

-そうだったんですね。まだその作品はどこかにあるんですか?

「いや、もうないですね(笑)。ずっとやってきてたのを悩んで、自分がそこで作りたいと思ってデザイナー辞めたんやけど、自分が作っていく中で実際に手を動かさない部分でのクリエイティブな仕事というところへの発見というか気づきがあったので、朝日焼でそういう部分を担いたいと思って、反対もあった中、辞めるに至りました。」

-今、朝日焼さんで色々と企画や案を出されてると思うんですけど、実際に松林さんがされてきている新しい企画などは、どうやって立てられていますか。

「そこら辺は小さな会社なので、割とスピーディーに進められる部分があって。企画の大小にもよるんですけど、例えばホテルの案件とかだと、受注があった段階でその時々の進行状況、例えばサンプル、見積もりとか、サンプル製作依頼とか、そういった物があった時々で社内で共有するんですけど、永野さんのこういったマット(※6)とかは『朝日焼を楽しむ』っていう企画の段階でやりたいなと思っていて、割とグッと勝手に進める部分とかありまして(笑)。マットであればこの時はもう『永野さんにマット作ってもらおうと思ってる』って言う事を兄に伝えて、後はもうそれで。」

永野製作所とのコラボティーマット
(※6)茶のまわりプロジェクトの永野製作所と制作した麻のティーマット。2色展開でオンラインショップにて販売中だ。
画像出典:朝日焼:https://asahiyaki.com/detail.php?p=2273

-色とかはどういうふうに決められたんですか?この2色に関しては。

「この2色自体は、朝日焼の土ものと磁気ものに合うものと、季節を感じられるものにしたかったので。ちょうど5月だったので、これから夏本番に向かう時期だったので夏をイメージしてというところで決めて。後はもう、これでってことで(笑)」

-決められてから、社内でこの色でいきますという感じですか(笑)

「うん、それもない(笑)」

-それもない(笑)出てきたものを、という感じですか。

「そうやね。ホームページやSNSなんかも大きな会社だと色々と確認が必要で。まあ大きな会社でなくとも確認は必要なんやけど、そこの確認って信頼がないといちいち確認しないと進めないけど、仕事が慣れてくるとマニュアルのある仕事じゃ無くても、仕事が長くなってくるとわざわざ今までA→B→C→Dまで行ってきたことを、それこそA→B だけ行ったらC→Dを判断して動いていくようになるわけやん。

だから割とそこら辺の方向性みたいなところは、常に確認する機会があったり、家族とも社内でも会議してるので、割とグッとそういう感じで進められる部分っていうのは色んなところでありますね。

思い切って勝手に進めちゃう。でもやっぱり進めたところは責任を持ってやらないと、作ったけど売れなかったっていうことであれば、思い切って進めた意味がないというか。スピード感が必要だから思い切って進めてる部分があるんですけど、失敗したらそれは自分の責任で次の仕事では同じように進められないな、というところはあります。」

-そういう進め方だったんですね。お兄さんとかに確認されてるのかなと思った部分もあったので

「まあ確認する時としない時はあります。まず根本的に兄弟って良いと思うものの感覚が違うので、相談すると結構違う意見になりがち。なのでどちらかが責任をもって進めていかないと。悩んだら相談はするんですけど悩んでない時はグッと進めてしまう時はあります。」

-でもやっぱりそこは信頼関係も含めて、スピード感とか色んなものに繋がりますよね

「まあ家族経営というところが大きいかなと思いますけど。やっぱりしんどい時に一緒にしんどい思いができるのは家族経営だと思いますし、逆に家族に限らずそういう形ではありたいなと思います。仕事に関して言うと、しんどい時にしんどいことを分かち合えて、良い時に良い形で分かち合えるというところが、仕事の組織としてチームとしてやって行きたいなと思ってるところですし。

そう、だから今はパートの人達が販売であったり、梱包であったりという部分を超えて、それぞれの特徴を生かした仕事をしてもらいたいなと思っているので、仕事を任せるという部分に対しても結構ウエイトをおいて仕事しているかな。

例えば、これはお店がオープンした時からやってるんですけど、お琴の演奏しているスタッフに音楽会を年に2回企画してもらって、その中で自分とセッションするアーティストを呼んで音楽会してもらったりとか。

あと、元々は中国に居てて10歳で日本に来た中国語を喋れるスタッフが最近入ったんですが、彼女が語学を生かして仕事をしたいという中で、残念ながらコロナの期間が思ってるよりも長くなってしまい、中国のお客さんも来ないという状況で、じゃあ中国語でどんな発信ができるのか、というところでPRの部分を手伝ってもらったりWeiboを始めたりしました。

実はWeiboからのホームページへのアクセスが増えてきて、これまではずっとアメリカが2番目だったんですけど、もう中国が2番目になってきていて。そんな中でホームページは英語と日本語のページしか無いし、かといって全部中国語のページを作る程ではないので、ブログでの情報発信として中国語の記事を書いたり、中国に直接発送できる買い物で、買い物方法も中国語で書いたりだとか、そういったところをそのスタッフにお願いしています。その人がいないとできない部分、特長を生かした部分というのは作っていきたいなと。

それっていうのは、このお店に来て『この人から買った』っていう経験が最終的には一番の今後の価値になってくるのかなと思っていて。ある程度の接客のクオリティっていうところはあるんですけど、そこは差が出てしまってもいいのかなと。毎日お店にこの人がいるって訳ではないので、この人の接客をお客さんが選ぶっていうことはできないんですけど、それでもこの人と出会ったことによって、結局はこれを買ったっていうところが今後の価値になってくるかなと思ってます。

誰が作ったかっていうことや、どういう場所で生まれたかっていうことももちろん重要なんですけど、でもやっぱり物を買う時って、結局は最終的に『誰から買ったか』になってしまうので、その時に誰から買ったかによって、それがもし同じ買ったということであっても、買ってそのまま置かれて使われない状況になってしまうことと、その人から買ったことによって毎日使うようになるっていう分岐点は、結構販売の人にはあるなと思っています。

そこの個性みたいなところはお店として出して行きたいなと思っていて、全体としてちゃんと知識であったりだとかお茶の楽しみみたいなところは全員が伝えられるようにしていきたいなと。

結構いろんなことをやりたいなと思うので自分自身が。だからこそ自分で作品を作るっていうよりかはもう少しその人とモノとの間に入ったりだとか、人と人との間に入ったりだとか、その中で色んな事をやっていきたい。」

-僕も最近では色んな所を取材させていただく中で、あまり伝統工芸と関わらせていただく機会がなかったのですが、実際こうやって色んな所がクロスしていくところを見ると、もちろん器の良さも際立ちますし、他の伝統工芸も朝日焼さんと関わることによって、すごく魅力が出ていくんだなというのを感じます。器もそうですが、その人に合ったライフスタイルをご提案してる、というのが取材させていただく中ですごく感じられて、こういったことに動かれているのを見て改めて凄いなと思います。

「何か常に自分が素人の目線を持っていたいなと思っていて。自分自身、小さい頃からお茶を入れたりだとか茶の湯をしてたわけではなくて、京都に戻ってきてからお茶のお稽古に行くようになった。

結構、京都の稽古場にしては同い歳ぐらいの友人がたくさんいたから、そこで茶の湯の楽しみもどんどん知っていったし、茶農家さんとか茶匠さんと話してるうちに急須でお茶を入れることの楽しみも感じてきて、っていう経験があるので、どちらかというと玄人の人に向けて知ってもらう機会を作るのではなくて、このお店でしていただける体験という所に関して言うと、やっぱり初めての人がお茶を興味を持った時に『どういうことが分かればお茶をしたいなと思うんだろう』とか、『どういうものを見た時にかっこいいとかいいなとか欲しいなとか思うのかな』っていう目線を常に持っていたいなと思っていて。

朝日焼の急須

ただただ格好いい急須がポンと展示台の上に置かれているのであれば『格好いい』とは思うけど、自分の生活に取り入れてみようかな、とまでは思わない。特にお茶をやったことがない人であれば尚更。お盆とかトレーとかに置かれている中で、急須を買うのは無理やけど、それこそ椀と茶托だけ買ったら朝日焼を生活に取り入れることはできるわけで、そこからまた広がっていったりだとか、まあ究極は砂時計を買ったりだとか焼菓子を買ったりという繋がりが出来るきっかけでまたそこからね。

別に必ず朝日焼じゃないといけないとも思わないですし、色んなものを使っていく中でだんだん朝日焼が欲しくなるのではないだろうか、とは思っているので、きっかけ作りみたいなことは常に行っていきたいなという中での、お茶周りの道具のプロデュースであったり、セレクトしたり、というところです。

もうひとつは、どういうショップイベントをやるか。以前、無印良品さんと茶畑見学のイベントを行ったのも、初めての人達のきっかけ作りのところがあります。後はMKタクシーさんとのオンライン茶会での発信や、自分達が自身の朝日焼を楽しむことであったり、Instagramの発信というところも、お茶っていうものが生活に関わってない人達が「おっ」と思うところ、そういったところを全部複合的に繋げていき、お茶に興味を持ってくれた人達がより深く知れる、より始めたいなって思えるところで、朝日焼としてのブランド価値になればなと思ってる。

-こうして一緒にお話しを聞かせていただいて、すごくその想いが感じられますし、こうやって聞けば聞くほどに朝日焼さんの陶器含めて欲しくなってしまいます。

「根本的な部分としては、以前にお店でお茶を入れながらお客さんと話していて、急須を欲しいと思っていなかったお客さんが、そこでの会話なのか時間なのか、その空間の中で急須を欲しいと思ったっていう出来事は、やっぱりそこは仕事としての楽しみだったので、そんなことがあるんだと言うか、やっぱり自分がいいなと思ったものに対する部分への共感みたいなところがすごく嬉しいことです。

自身の良いと思ったものに対する共感

なおかつ、自分は職人たちの仕事を見てるわけで、そこでこれすごいなとか、これいいなって思う部分を、やはりその場でそのお客さんとの会話の中でお伝えできて、その部分が共感いただけたかなっていうところがやっぱり始まりで、そこからの広がりが、ホームページのリニューアルであったりだとか、新しいお店のことであったりだとか、こういう接客をしていこうねっていうお店の中で決めることであったりだとか、に繋がっているので、根本は自分のいいなと思うものへの共感が嬉しいっていうところですね。」

ありがとうございます。その自分がいいなと思ったものに共感得られた時がすごく楽しいやりがいを感じられるとのことですが、松林さんの人柄といいますか、僕はお会いする回数も頻度も長いのもあって、松林さんはすごく楽しそうに仕事をされている印象が強いんですが、逆に「ちょっとしんどいな」とか、先程でもご家族でいると苦しいことも共有できるみたいなこともおっしゃられていましたが、実際にそういうことを感じられた瞬間とか、この仕事を通してきつかったなということはありましたか

「仕事は、まあどちらかというとしんどい時のほうが多いですね。新しいお店をやる時なんかもやっぱり自分が良いと思う部分と、兄が良いと思う部分、やっぱり今まで朝日焼が繋がってきたというところは、それこそ私達の祖父祖母、そして父母という存在があって、この新しいお店に関しては父が亡くなってからできた企画だったんですけど、やはり母が考える朝日焼っていう部分があってそれを守っていかなければなりませんし、またそこから変えていかなければいけない部分があるというところもどうしてもある。

その辺りの部分というのは、自分で仕事を始めた人であれば、自分で決めて自分でそこを強くしていく、研ぎ澄ましていくということになると思うんですが、私たちのような家族経営であったり伝統工芸を継承していく仕事っていうのは、やっぱりそういう誰かが強い想いを持って作っていくっていう部分と、もう一つは今までやってきたこと、また新しくやっていくことのバランスを見ないといけない所ってあるんですね。

どうしても主観だけで進んでいく部分じゃなく、上から見て、これまでの部分と未来の部分というところをより見ないといけない。バランスを取る部分というところが他の仕事とはちょっと違う仕事なのかなと。絶対にこっちの方がいいのにな、って思う部分を必ずしも押し切れないっていうことがあるので、そこは難しい部分かな。」

-中々それを経験したくてできる方って限られていると思うので難しいですよね。まあ僕で言うとできない経験なので

「良いところも悪いところも家族経営っていう部分はあると思うので、やっぱり新しい見方や考え方は常に入れていかないといけないと思いますし、そういうところはすごく意識しているところでもあり、バランスをとっていかないといけないなと思っているところで。

また、長く仕事をしてるっていうところで言うと、これまで新しい職人をずっと入れていなくって。古い職人が多い中で今年4月から一人、新しい職人を入れました。それで新しい人を入れるのっていいなと思っていて。

長くずっと同じ人たちが仕事をしてると、どうしても固定観念と言うか固まってしまう部分があるので、新しい人が入ってきて、いきなり新しい意見を言うっていうことは中々難しいですけど、新しい人が入ってきてくれたことによってまた、例えばポジションで言うと、これまで一番下だった人が一つ上に上がることになることで、指示を出さないといけない立場になる。

で、指示を出さないといけないっていうことになると、また色んなことを把握しておかないといけなかったりするので、そういう新しい感覚を入れるっていう部分と、また変わらずに守っていくっていう部分は常にバランスを取ってやっていきたいです。

朝日焼看板

まあ、朝日焼自体はそういうブランドなのかなと思いますけどね。すごく強いメッセージ性を発信した方が今の時代だとより伝わりやすいくて受け入れやすいけど、それをやってしまうと逆に弱さもあるので、すぐに同じことをされてしまうと、立ち行かなくなってしまったりだとか、実際に長く続けていく時に続けていこうと思うのどうなのっていうようなことになったりもするので、バランスをとりながら、なおかつ今はたくさんの可能性を伸ばしていくっていう時期かなとは思います。ブランドとして。」

-なかなか難しいですね。お話をうかがっていると、私が想像しているのよりも遥かに難しい部分があるんだなと感じさせられます。

「お客さんに対して接すること、仕事に関しての姿勢っていうところで言うと『いいもんでしょ?』っていう姿勢でしかないと思うけどね。それがないと受け入れてもらえない。

接客する時なんかも、やっぱり色んなことを説明するのではなくて、この人が何を見て何に興味を持ったのかな、というところでお話をしないと、まず購買には繋がらない。

それを欲しいなと思ってもらえてなかったり、そういう目線がない人に対して言うと、この機会で買ってくれること、欲しいなと思えることはないやろな、とは思うけど、次回に繋がるように周りの人に伝えてくれるように、どういうところに興味をもって来られたのか。

何かしらに興味を持ってお店に入って来られてる訳だし、何かしら引っかかるところはあるのかなと思うので、それを踏まえた形でお話をするんですけど、全く引っかかるところやその人がいいなと思った部分がないのに購買に繋げる説明をいくら沢山したところで、その人が買って行くことは無いかな、と思っているので、自分達のスタンスとしては、『何か良いなと思うところがあるでしょ?』っていうスタンス。『ありますよね?』みたいな感じで接客してると思う。」

-松林さんが朝日焼さんに戻ってこられて、何年になりますか?

もう10年くらいになると思う。

-実際にその10年の中でギャラリーが出来たりしたと思うんですが、実際に帰ってきてからの松林さんの主観で結構なんですが、これまでの10年でどういう変化がありましたか。

「まず帰って来た時は、父がずっと仕事していているような時期でした。なかなか茶道具を売るのが難しい時代になってきて、今までの仕事のやり方を変えないといけないなと、朝日焼を変えないといけないな、という部分が大きくなってきていた中で、兄が色々なことに挑戦していっていたのもその時期です。

その辺りで「GO ON(※7)」のきっかけも兄が色々と動いているなかでやってきて、海外でも色々と仕事をするけど、それもなかなかうまく行かないなという時代。あと、父の時代は父が作る茶道具のサブ的、セカンドブランドとして工房の作品がありました。」

(※7) 京都の伝統工芸を受け継ぐ後継者によるクリエイティブユニット。 幅広いジャンルとの接点をつくり、橋渡しとなるプロジェクトも展開しながら、伝統工芸のさらなる可能性を探っていく。
GO ONオフィシャルサイト:https://www.go-on-project.com/jp/

-そうだったんですね!?

「例えばお菓子を作る銘々皿などの数ものであったり、お茶会で沢山の人が来る際に、数茶碗という同じ絵柄のお茶碗を10組み12組みとかのお茶碗を使ったりするんですけど、そういうサブ的な作品。お料理の向付であったり、副席の花入れであったりとか、そういったものを作るのが工房の作品だったんですが、やっぱり茶道具が大変な時代で、景気も悪くなって当主の作品が売れなくなってくると工房の作品も売れなくなるので、そこのスイッチの時代でもありました。

工房の作品と、当主の作品。今は16代目となった兄の時代ですけど、そこをきっちりと分けてブランド、コレクションの違いを出していきたいと考えていて、そういうことの10年だったのかもしれない。

工房の方はどちらかというと茶の湯の器も作っていて、豊斎のサブブランド的な立場でもあるんですけど、割とそこの部分は消し去っていて。日常で使うお茶碗であったりだとか「日々の生活の中で使ってもらう朝日焼の器」を作っているのが工房の作品になってきていますね。

日常で使う朝日焼

豊斎の方は父の頃から変わっている部分というと、やはり茶の湯の器は変わらずに中心にはあるんですが、その中で茶の湯とは違った部分での茶碗のあり方であったり、茶道具のあり方っていう部分を今は模索している。

ロサンゼルスのアートギャラリーで茶道具を出したり、日常の中でも特別な茶碗で自分のお茶の時間を楽しみたいという方は、豊斎の茶碗を買っていく。ど真ん中の茶の湯の器、という部分から少し離れたものとしての見せ方という部分が父のときとは違う部分です。

5年前に兄が代を継いで、その前の5年は代を継ぐまでのステップとしての5年でしたし、その後の5年は工房の作品と豊斎の作品と、豊斎として向かっていく部分と工房として向かっていく部分の切り分け、また、父の代までの朝日焼の当主の作品というのが大きな幹、売り上げ的にも立場的にも大きな幹だったところに、工房という大きな幹から分かれる枝のような形で、本来は幹に付属してくるはずだったものが、幹を別れて「豊斎」と「工房」という幹となり、大きく分けると朝日焼の作品はその2つの幹で支えていこうとなり、工房の作品の立場が大きくなっている。

さらに今からの5年というのは、その幹をどちらも太くしていくつもりではあるんですが、もう少し工房としての仕事のやり方みたいな所も大きくしていかないといけないので、もう少し人を増やさないといけないかなとは思っています。

仕事論でいうと、いわゆる陶芸家であったり陶器屋さんと比べられるということではなく、朝日焼が欲しいなと思っていただく、そういった所に重点を置いているので、そこをどういう風にしたらいいのかっていう部分は、やっぱり直接売るっていうところにウエイトを置くという仕事論、仕事観を持っています。」

-ここまで色々と仕事のことをお聞きしてきましたが、実際に松林さんは色々な人とお会いしてきて、伝統工芸やクリエイティブな部分など、どういった人を生き方の参考にしていますか?どんな方に松林さんは魅力を感じますか?

「何か純粋さを持っている人に魅力を感じます。自分くらいの年齢でいいなって思える部分って、純粋さを持っている人かなと思っているので。なかなか仕事に対して純粋さを持って仕事をし続けるということはすごく難しいことじゃないですか。はじめは良いなと思ってやってきた仕事も、それが人から共感を得られなかったら続けてはいけないし、その純粋さを保っていくためにはどのように仕事をしていったらいいんだろう?と。

起業した人なんかは最初の起業した時の想いっていうものを、如何にして継続していくかっていうところを持ちながら、みんな模索しながら色々と変化をしてると思うんですが、自分自身の純粋さっていうものは今はちょっとよく分からなくなってはきているけど、自分とは違う立場で、純粋さを持って仕事をしている人を見ると『こういう風に仕事をしたいな』とか『こういう思いを持ってやっていきたいな』とは思いますね。

また、沖縄で紅茶つくっている人で、1年で何回かの収穫の中で自然に左右されながら工夫しながら自分の目指すお茶を追い求めている人がいます。もともと沖縄の農家さんで、沖縄は煎茶が早くできる土地だったので、昔は煎茶をやってたんです。でもその『早くできる煎茶』っていうのが鹿児島の大きな農場に需要を取られてしまって。しかしそこからの危機管理が早かった。

そこから紅茶の品種の茶葉を始めて、日々色々と研究しながら自分で紅茶を作って販売している。今、日本の色々な有名レストランとかにその紅茶が入っているのを見ると『いい仕事だな』と思って。色々と試行錯誤したり、根本的にはそういうのが好きなんです。人から見たらちょっとの差なんですけど、あっちに行ったりこっちに行ったり、ああしてみたり、こうしてみたり、ということを繰り返しながら、自分が本当に良いと思うものを生み出していくということに憧れを持っていて、自分もそうありたいなと。

やっぱり悩んだ時って分からなくなる。誰もが悩みを持っている。その時の基準となるのが初心の『これをやりたいと思った時の純粋な気持ち』だと思うので。」

-ありがとうございます。松林さんが思う成功の定義と言いますか、これをやったらうまくいったということや目標はありますか?

「何か最近、成功というか幸福とか幸せとかについて考えていて。

若い頃、10代後半とか20代とか、それこそ30代になるまでとかだと、やっぱり成功が幸せで。成功イコール幸せみたいに思っていたところがあって。何かを成し遂げることであったりだとか。そんな成功が幸せになるってイメージが自分の中でもあって、何かを成し遂げよう、成し遂げようと思ってた。

朝日焼ブランドマネジャー:松林俊幸氏

けど、今は30代も後半。40代を前にして、色んなことをやってきたけど失敗もして、うまくいったこともあって、という中で『自分が幸福でいるのって不幸でないことが幸福なんだな』っていうのを最近ちょっと思っていて。不幸ってもうどうにもできない状態で、どうにもできない状況って本当にどうにもできなくなってしまう。

まあ実際そこまで陥ったことはないけど、やっぱりそれこそ世の中のニュースで自動車と人との事故だとか、そういうことが起こってしまうこともあるし、会社であれば従業員がそういうことになってしまうかもしれない。世の中では予想もできない色んなことが起こる。このコロナ禍の世の中もそうで、仕事にならない。

これはコロナだから思ったのかな?今こうして仕事ができていることは幸せであるし、逆にどうにもできない状況に陥らない、ということへの準備であったり心構えであったり、精神の鍛え方であったり、そう言ったところを強くしていくことが不幸にならないことに繋がるのかなと思っていて。すごく大きな成功よりも不幸にならないっていうことがすごく必要なことなんじゃないかなって最近は思っています。」

-その視点での考え方ははじめて聞きました。メモさせていただきます(笑)

「小さな良いことも、大きな良いことも、その人の捉え方によって小さくなったり大きくもなったりする。そういういいなと思える気持ちっていうのも大切だけど、やっぱり最終的には不幸なところに陥らないっていうところが重要なのかなと思っていて。とは言っても、すごく平凡な生き方をしようっていうわけではないんだけどね。逆に落ちきってしまうような生き方をしないってのが必要かなと思っています。

ちょっとしたことでやっぱり不幸ってどうしてもあるので。やってはいけない事とかは時代や世代によって若干考え方が違うし、特に古い世代は具体的には言いませんが、今の時代では駄目な事をやっていた時代もあったわけで、色々と意識して失うことも想像しないとすごく不幸になると言うか。そんなところでしょうか。」

-ありがとうございます。ここまで仕事のこととか松林さんの生き方をお聞きしてきましたが、少し日常的なことをおうかがいしたいと思います。松林さんの毎日していることってありますか?

「毎日してること? 最近だと、使ったお金を記録してるのと食べたものを記録してる。」

-食べ物ですか?カロリーとかじゃなくて

「食べ物のカロリーを似たようなものから出せるアプリがあって。自分の1日の摂取カロリーより増えたら確実に太るって理由で(笑)」

-そんなアプリがあるんですね。1日の中の1食ですか?

「いや3食食べたものを。ある程度似たようなメニューからカロリーが導き出せるので、カロリー超えないように記録してます。後、何してるやろ。」

-お休みの日は何をしていますか?

「休みの日は一人で出かけるっていうことは最近はあんまりなくて。大学生の時とかは結構美術館一人で行ったりとかしてたけどね。こっちに戻ってきてからは、どちらかと言うと友人とどっか行くことが多いね。特にお茶関係が多いかな。考えることが好きで仕掛けることが好きやから、常々そういうことをやっていきたいなとは思っていて。

ここのお店をオープンしてから色んなことで仕事が忙しかったので、お店でも色んなことはしたいけど、遊びの部分でもそれは強いかな。最近では、幼稚園から高校卒業するまでずっと一緒にいた幼馴染が、伏見で小規模保育園に行ってるんで保育園の話を聞いてたら色々やりたいことがあるって『やりたいことはあるけどやり方が分からへん、進まへん』『誰かそういうこと手伝ってくれる人がいたらいいのにね』みたいなこと話してて。『ホームページも欲しい』とか言ってるんで、もうちょっとやってやろうかなと思って(笑)

それで1日でホームページ作って『できたよ』って連絡して。そしたら『え?手伝ってくれるの?』って感じになって『ちょっとやってみるわ』言うて。で、小規模保育園の仕事とは関係なく、小規模保育っていうものがどういうものなのかっていう活動を一緒にやってるんだけど、なんかもう趣味よね。」

-それは趣味ですよね。趣味の延長線上みたいな感じですよね。

「そうそう。なんか学べることが多いかなと思って。ひとつは自分とは全然関係ないことをやってるというところと、あとはデザインが必要になってくるので。

僕はデザイン自体はデザイン学部にいたわけじゃないので、しっかりとデザインのことも勉強してないし、仕事でデザイナーやってた時もパソコンを使って絵を描くっていうことを良しとしていない会社だったので、手で描きなさいっていわれてました。

あまりデザインについてっていう部分をしっかりと学んできたというわけではなく、独学でできる範囲のことを自分で経験してきたっていうのがあるから、その中でまたできることをやったり、また新しいことを調べたりだとか。今は面白くてそういう活動もやったり。それに限らず、色んな友人と趣味と遊びと仕事とよく分からないことを最近企みすぎてる(笑)

ーいいですね。

「なんか遊び心みたいな『遊ぶ感覚』というものは常に持っていたいと思ってるんです。真面目になりすぎないっていうこと、根は真面目なんですよ?どこか崩すっていうところ。そういう遊び心は持っていたい。

芸能人でいうと、所さんとか木梨憲武さんとか好きなんですよ、人として。あまり人を傷つけないタイプで、その中でちょっと遊びがある。あそこまでのバイタリティを持ってないけどね。世田谷ベース持ったりだとか、個展やったりだとか。ああいうところはいいな、と思ってて。

後、最近思っているのが、自分は結構自分の悩みを相談できるタイプじゃないなって。自分のことをオープンにできる人っているやん?相談事とかで。藤川さんは相談できるタイプ?」

-逆に相談しないと死んじゃいますね多分(笑)

「いや、そういう人が一番強いなと思っていて。やっぱり応援したいなと思われるタイプがいいなと個人的には思ってる。自分ができてないなって事や、分からないなって事をオープンにすると、それを聞いた側って『この人こんなにオープンなんだ』っていう部分ですごく信頼ができるというか。

相談するのって意外と難しいと思ってて。相談を聞いた側が偉そうに無責任に『ああだよこうだよ』っていうのは誰でも言えるんだけど。逆に相談をするのって変な言い方すると技術が必要だったりだとか、出来ない人にはすごく難しいことだと思うので。自分も出来ないタイプの人間なので割と。

もう少し相談した方がいいな、と最近思ってるのでまた相談に乗ってください(笑)」


2021年6月30日(水)
取材・撮影 :藤川 拓哉

朝日焼前にて

朝日焼 オフィシャルWebサイト
https://asahiyaki.com/?lang=jp

朝日焼 OnlineShop
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