ミヤコパンダ 店主:池田 景さん
企業の経営者や店舗の店主などにインタビューをおこなう企画。IShokuJuの「人を知る」。今回インタビューを受けていただいたのは、今から150年前の明治の世、京都の山崎にて天麩羅専門店として創業した「三笑亭」の五代目店主の酒井 亮(さかい あきら)氏。
三笑亭は二度に渡る戦火をくぐり抜けた。一時期は料理旅館を営んでいた時期もあったそうだが、現在は油の神様として有名な離宮八幡宮で奉納されたという御神油を使用した名大天麩羅をメインとした割烹料亭である。
-本日はよろしくお願いします。まず最初におうかがいしたいと思いますが、酒井さんは三笑亭さんの役職としてはどういうポジションにあたられますか?
「父親が三笑亭の4代目になりまして、息子の僕は5代目ということで父親のもとで働いております。」
-三笑亭の5代目として今ここでお仕事をされているということですね。ちなみに5代目になろうと思われたきっかけ、ご自身のストーリーがあれば教えて下さい。
「僕には4歳離れた兄がおりまして、小さい頃からこの地元の大山崎 三笑亭というお店があって親の仕事を見ながら僕たち兄弟は育っていきました。子どもの頃はみんなから『天ぷら屋の息子や~』とよく言われておりまして。ちょっとイジられてるような部分もあったりで、正直気恥ずかしい所もあったんですけども(笑)
そんな感じでずっと料理屋の息子として育ってきたんですが、元々僕たち兄弟には店を継ぐという意思はありませんでした。それで僕が高校卒業の時に兄は普通にサラリーマンとして働くために大学に入り、サラリーマンになったんですが、僕もそのまま大学に進学して兄と同じ様に普通に就職するつもりでいる中で、ちょうどお店が忙しい時に人手が足りないという状況があったのでお店を手伝っていました。
その時の僕は料理もできなかったので料理を運んだりしてたんですが、お客さんの所に持っていった時に『この料理美味しいわ』とか、『美味しいわ~ありがとう』とか、お客さんが言ってくれたのがすごく印象に残ってて。何というか『誇らしい』というか『いいなぁこういう仕事』と自然と思えました。
それでその時はちょうど他にやっていたアルバイトも辞めた時だったんで、お店を手伝う回数が増えていって、そうしているうちに接客業や飲食店の仕事に興味を持ち初め、大学2回生か3回生ぐらいの時には『お店を手伝ってて面白いな』というふうに惹かれていってて、4回生の時にはもう『この道に進みたい』という思いになってたんで、それを家族にも話して。
そうしたら両親も『息子にお店をやらせたい』っていう気持ちは、後々聞いてみるとあったそうなんやけども、でも別に無理してまでやらそうという気はなかったらしく、僕が『お店をやる』って言った時はすごく喜んでくれて、何かそれもそれで僕も嬉しいなと思って。
多分、お店をやれやれと言われていたら逆に反発してこの仕事はしてなかったかなと思ってて。あの時、たまたまお店が忙しい時に手伝ったことが『人生のターニングポイント』みたいな感じになってて今に至ってるかなと。
就職活動の時とかは『もうこの道に行こう』と思ってたんですが調理学校とかにも行ってなかったので、現場で仕事をしながら料理を学んでいました。最初は料理できないからお客さんに出すことはできず、スタッフのまかないを作ったり魚を捌いたり野菜を切ったりということを経験して、というのがきっかけかな。」
-その期間というのは大体どれくらいの期間でしたか?ほぼ未経験でこの業界に入られて、そこから実際に厨房に立ってお客様に提供するまでにどのくらいの期間がかかりましたか?
「大学の時に店を手伝って、4回生の時に調理師免許の試験を受けて調理師免許はもう4回生の時には取ってしまってたんです。で、卒業と同時に修業先の京都のお店で2年ほど修業で学ばせてもらって、そこから店に戻ってきて続けている感じなんですけど、もちろん修業先では料理まではそこまでやってなくて、盛り付けとか、作る方はやっぱりそんなにできなかったから、その2年間は下積み生活みたいな感じで経験させてもらいました。
お店に戻ってきてからも下積みを重ねていって、で今に至っている感じです。大学2回生くらいから料理に関わってるんで、もう今で23年ぐらいになりますね。」
-今のお話で下積み時代は大体2年ぐらいとおっしゃられましたが、2年と決められていたのか、それとも自分でやりながら「これぐらいでいいかな」と思われたのかどちらでしょうか?
「ほんまやったら2年とか3年とかじゃ修業としては全然足りないんですけども、やっぱりもっと修業したいという部分もあったんやけども、お店の人手が足りてなかったことや、お店で学ぶ部分も大きかったんで、それで年数的に修業期間としては短いんですけど何年とか決めてた訳じゃなく、ある程度の経験を積ませてもらって、結果2年経ったタイミングでお店に戻ろうかな、という感じになりました。」
-ありがとうございます。酒井さんが20数年間このお仕事をされてきて、一番「この仕事をやってきてよかったな」と思う瞬間やエピソードがあればお聞きしたいです。
「やっぱり料理を作ってるんで、お客さんからの『美味しい』の一言とか。やっぱり『美味しい』という言葉が何よりの感動でもあるし、お客さんの笑顔が出る時、笑顔を見せてくれた時はやっぱりすごい幸せな気持ちになるし『やってて良かったなぁ』っていう風に思います。」
-それを一番最初に感じられた瞬間はありましたか?あの瞬間が一番心に残っているというか。
「まあ、やっぱりあれですね。この店、この業界に就こうと思ったお客さんとのやり取りの時にかけてもらった言葉『この料理美味しいわ』とか『このお店良いなあ』といった言葉が一番心に残ってます、一番強いかなそこが。その言葉があったから僕は今この道を進んでいると思うんで。」
-今日は朝から市場にもお付き合いさせていただいたんですが、酒井さんの朝からの一日のタイムスケジュールとか大体どんな感じでお仕事されていますか。
「朝は大体5時頃に起きて身支度をして5時20分くらいに家を出ます。市場の競りが6時頃に終わるんですけど、競り終わった後に市場の中の魚屋さんに競りした魚が並んできて、僕ら買い付け人が買える状態になるのが大体6時過ぎぐらいなるので、それくらいの時間に合わせて市場に着く感じです。
そこから魚を見て青果棟で果物とか野菜とかを買ったり、他に肉類も買ったりして市場を出るのが大体8時過ぎぐらいになります。市場から家までが40~50分ぐらいかかるんで、9時過ぎとか9時半ぐらいに帰ってきてそこからお昼の営業の仕込みをします。
お昼から14時まで営業するんで14時で一旦仕事の後片付けをし、その後にまかないを食べて夜は17時から営業なのでその仕込みもあるんで、お客さんの予約があったりとか日によってマチマチなんですけど、大体16時過ぎくらいまで中休みなので昼寝とかもしてます。
17時の営業から今はコロナの自粛中ということもあって20時までなんですけど、まあ通常の営業時間は21時までなんで21時まで仕事をしてそこから片付けして、終わるのが日によって違うけど22時過ぎとか22時半、早い時は21時とかに終わる時もあります。それで自宅に帰る前にお店でご飯食べて自宅に帰るという流れです。
-すごいですね。初めてお聞きしましたタイムスケジュール
「こんな感じのタイムスケジュールです。もちろんお客さん次第で必ずしもそのローテーションという訳ではないんですけど、大体オーソドックスなタイムスケジュールですね。後、昼寝は結構大事にしているというか。若い頃は全然昼寝とかしなくても元気やったんですけど、やはりこの年齢になると昼寝が重要な部分もあって(笑)」
-ありがとうございます。ここまで仕事の良かった部分をお聞きしましたが、逆にしんどかった部分は?
「料理している中で、必ずしも『料理が美味しい』とか『良かったよ』っていう意見だけじゃなくて、やっぱり接客とか対応に問題の起こる時もあって。例えばですが、料理に髪の毛なんかの異物が入ったりとかっていうのは、やっぱり対策をしていても起こり得るもので、そういう事があった時の『お客さんに申し訳なかった』っていう部分。
また、決して人のせいにしているという意味ではなく、異物がたとえ従業員さん、僕らのものじゃなかったとしても提供しているうちの責任でもあるんで、そういうところは勿論お詫びをして。やっぱり不快な気持ちにさせたっていうのはすごく反省すべき点やし、料理の見た目や味にしても、作ってみて何か自分が思ってたのと違う時とかっていうのは、やっぱり提供はできないから色々と試行錯誤したり。
でもお客さんからのお叱りっていうのは正直有り難い部分でもありまして。普段通りやってることが当たり前っていう風に思ってても、やっぱりそれは自分の中でなあなあじゃないけど、何か当然みたいに思ってる所があって。
そういう気の緩みを叱咤いただけているんだと思うと気が引き締まりますし、今だと結構SNSにも投稿されてたりとかで、良い意見もあれば『ちょっと味が濃かった』とか、そういう意見もあったりするんでそういうところはやはり真摯に向かい合っていきたいなと思っています。
結構そういう事があった時は気持ちが凄くナーバスになるんですが、そこを放っておくんじゃなくて、こういうお客さんもいるんやからこういう味付けも大事だな、と。自分の感覚だと味が濃すぎるのかな、というような客観的部分はエゴサーチとまではいきませんが、そういう意見を見て心改め気を引き締めています。」
-酒井さんと三笑亭さんのことについてお聞きしてきましたが、10年後のビジョンや目標があればお聞きしたいです。10年後とかじゃなくても将来の目標であったりとか。
「僕の性格からプラン立てたりとかどんな感じにしていくかっていうのは、やっぱりこの歳になってきて店を託される立場になるんで、ビジョンとかっていうのはもっとしっかりと持ってないとあかんなと。周りのメンバーでもそういう部分は若い人でもめっちゃ考えてたりするし、そういうのも刺激を受けるんですけど、やっぱりずっと小さい頃からここで商売やってて、自分もその仕事を継いでますので、何より地元に愛されるお店でいたいし、もっと愛されるお店でいたいなっていうのが一番大きくあるんですよ。
『今日ご飯食べに行きたいな、三笑亭に行こうか』とか、『三笑亭の天ぷら食べたいなー』という風に思ってもらえる。『大山崎に来たならあそこ良いよ、三笑亭っていうお店が良いよ』って言うてもらえるような地元に根ざした店でありたい。近くにサントリーのウイスキー工場とか歴史資料館とかもあって、すごい山崎って見る所もたくさんあって観光客の人も多いので、そういうお客さんも大事にしていきたいなと思います。
10年後って言うと、今自分の息子が高校2年生なんですけど、息子に対して心のどこかで『息子が家のお店についてくれたら嬉しいなぁ』と思いつつも、逆に外で仕事することになっても勿論嬉しいもんで、そこに関しては何かちょっとまだ見えてない部分がありますね。息子が僕の時と同じように『何か親父の仕事恥ずかしい』みたいなのも感じるんで(笑)そこは今後の楽しみにしていきたいなと。結果がどっちであっても何か楽しんでいけるかなと思ってます。」
-確かにそれは楽しみですね(笑)
「そうそう(笑)うん。そこの部分は思うかな。」
-ありがとうございます。酒井さんの目指す成功とはどんなものをイメージしていますか?
「成功ってみんな言うねんけど、何が成功ってお金が稼げたら成功っていうのも勿論あるとは思うねんけども、お金だけじゃなくて何かこう、もちろんお金がないと生活も出来ていかないんやけど、結構というか全く野心がなくて僕の中で(笑)。もちろん現状維持は向上心も薄いというか、現状に何かプラス贅沢できたら良いなと。物欲も薄いもんで、いい車乗りたいなとかそういうのも薄いんやけども。
でもやっぱり子供抱えて何やかんや生活費もこれから大きく変わってくるから、しっかりそこは頑張らないとあかんねんけども、成功っていう部分でお金じゃなくて、やっぱりこの生活ができる安定した仕事と安定した暮らしができることにプラスで、重きはやっぱりお店の良さとお料理を食べてもらえる嬉しさを感じたい気持ちが強いですね。
何か綺麗事には聞こえるねんけども、でもガツガツ仕事仕事、稼ぐ稼ぐっていう気持ちは正直薄いんで、世間一般でいう成功っていうのとは違うかな。」
-酒井さんが今までお仕事されてきて、10年前と今とで違いを感じる部分があればお聞きしてもよろしいですか?
「まさにこのコロナ禍で一番感じたんですけど、このコロナの影響でテイクアウトを始めて商品の紹介とかするのにフェイスブックとかインスタグラムとかのSNSを使ったんやけど、それまで個人的な酒井亮としてはフェイスブックやインスタグラムはやってたんやけど、お店としての紹介という部分でそういうツールの使い方っていうのはすごく大事やなーっていうのは思いました。
今回、藤川君にも写真を撮ってもらって、前にも撮ってもらったんやけど、やっぱり写真ひとつで料理の見せ方っていうのも全然違ってくるし、そういう料理の盛り付けとか見せ方っていうのは、ほんまに10年前とは比べもんにならんくらいに大事さを感じたかなと思います。
また10年前は、がむしゃらに目の前の仕事をこなしていってた部分があったんですけど、やっぱり僕も今年44歳になるんですけど、この歳になったらやっぱりお店のトータルの経営の仕方とか、経営者としての考え方が全然変わってきたなというのは感じます。」
-三笑亭さんが色々とされてきている中で、実際のメニューの部分についてなんですけど、新しくメニューを作るとなった時に、どうやって新しい案ができあがっているのかという所をお聞きしてもよろしいでしょうか?
「まず今までのお店の営業形態っていうのは、作った料理をお店の席で食べてもらうというスタイルだったんですけども、先ほどと話が重なりますが、コロナの影響でお店に食べに来れなかったりっていうのがあって、テイクアウトの需要が出てきました。
そこで週替りで去年から始めた『逸品テイクアウト』。これは今まで作っていた料理をテイクアウトに出すというもので、最初は僕一人でやりだしたんですけど、そこに地元の商工会の青年部の後輩達が手を貸してくれたんです。
一人は染め物の仕事をしている作家さんで、例えば穴子飯っていう商品をするんやったら、そこに加わる素材の穴子をイラストで描いてくれて、他にも錦糸玉子を使ってるんでその玉子を描いてくれたりとか、そうやって描いてくれたイラストをまた別の後輩がデザイン編集して熨斗紙を作ってくれました。その熨斗紙を料理の容器の上にかぶせてテイクアウト料理を提供するっていう形を出したんです。
1人で始めたのが2人3人になって、で消費者目線のことも聞きたいなって思って、お店からはこの金額で売りたいっていう部分と、消費者はこれは高いって思うんじゃないかという意見も聞きたかったんですが、そこでも2人別の後輩が入ってくれて、今は5人で週に1回集まってもらって会議を開き、みんなの意見を聞いたりしながら作り上げています。」
-今のお話で染物屋さんの方がいらっしゃったり、酒井さんの周りには色んな方がいらっしゃると思うんですけど、酒井さん自身、今まで人生を歩んで来られた中でどういった人に魅力を感じますか?
「僕は小学校から野球をはじめて小中高と野球を続けてきて、その後も草野球をやってるという経験がありますので、スポーツを通じて感じてきた魅力ですが、やっぱり頑張っている姿を見ると惹きつけられますね。
野球の例であれなんですが、普段練習を頑張って『もう疲れた、動けへん』と思ってる中で、その後に残って練習してる先輩の姿を見たら、自分より上手な先輩がそうやって練習してるのに、まだ自分もこれで音を上げてたらあかんなっていう風に惹きつけられます。
仕事で言えば、やっぱり自分に無いものを持っている人っていうのはすごく魅力を感じるもので。自分は結構のんびり屋さんというか、ケツ叩かれへんかったら中々腰が重いタイプなんですけど、後輩でも自分のプランやポリシー、信念を持ってる人っていうのは、やっぱりお店のことをすごく熱く語るし、それってやっぱり仕事が好きやからそれだけ熱く語れるんやし、それってすごいなあと思います。
何か自分はそういうのに成り得るとは思わへんねんけども、そんな刺激を受けて自分も頑張ろうっていう風に思わせられる人にすごく魅力を感じます。」
-酒井さんがお仕事をする上でもそうですが、こだわりがある部分とか大事にされている部分を教えて下さい。
「もうこだわりとしては毎日市場に行っているんで、出来る限り市場の新鮮な素材や目新しい食材を使った料理を提供して、お客さんに喜んでもらえるようにと心掛けてますし、勿論これからもそれは心掛けていきたいなと思っています。後は飲食店ってただ食べ物が美味しかったら良いという訳でなく、やっぱり雰囲気が良かったり居心地が良いという風に『ここは料理だけじゃなくてすごく落ち着くわ』とか、そういう空間の良さも大事にしていたいなと思っています。」
-ありがとうございます。ちなみに仕事がお休みの日はどんなことをされていますか?
「休みの日はね、野球をよくしてます。」
-ご自身で?プレイする方ですか。
「プレイする方なんですよ。うちのお店は基本月曜日がお休みなんですけど、やっぱり今までやってた草野球って日曜日とかが試合になるんで中々参加できなかったんです。それである日、月曜日の休みの日に出かけてたら、洛西のグラウンドで草野球してる人の姿を見かけて。
『あ、野球してはるわ』ってグラウンドに見に行ったんですよ。そうしたらソフトボールをしてはって。5チームくらいの結構な人数でやってて、面白いな~と思って見てたんです。でも見てるだけではやっぱり我慢できなくて(笑)
人数の少ないチームのところに寄っていって『これって毎週やってるんですか?』って話しかけて(笑)『何かの集まりなんですか?』って聞いたら、どうやら散髪屋さんや美容師さんの集まりのソフトボールということが分かって。月曜日が休みですもんね。
で、『じゃあ皆さん散髪屋さんなんですか?』って。でも知り合いの人とかも来たりしてるよって言いはるから、もう我慢できなくて『人数が足りんかったらで結構なんですけど、その時にでも声かけてもらって参加させてもらったりとか出来ないんですかね?』って言ったら、『そんなんでよかったら。いいんですか?』って、それからチームに入れてもらえることになって。
やっぱりスポーツって全般的に年上の人とか年下の人とかでもプレイひとつでみんなで喜べるわけで、そんな感じでみんな意気投合させてもらって、それからは月曜日はもうソフトボールです。でそのソフトボールのメンバーの人に、『別で野球もやってんねんで』って教えてもらったんで『じゃあ僕そっちの方も行かせてもらっていいですか?』って(笑)そんなこんなで月曜日に野球できる環境が見つかりまして、それ以来はもう結構野球やってます。
野球以外だと、他の料理屋さんに食べに行って『こんな料理の出し方するんや』とかっていう勉強というか食べ歩きというかそういうこともしたり、大阪の市場に行ったりとか、調理器具とか置いてる商店街があるんですけどそういう所にいったりとかしてます。野球したり仕事関係のことしたりで満喫してますよ。
勿論、家族と出かけたりとかの家族サービスもあるんですけど、野球があるからストレスも溜まらへんし、健康でもいられるかなと思ってて。やっぱり何が欲しいって言ったら、これからもずっと野球していける体力と環境。これはこれからも続けていきたいなと。生涯野球選手でいけたらいいかなと(笑)」
ーすごいですね(笑)プライベートの目標は野球選手(笑)
「野球選手!そうそう(笑)」
ーそれにしてもすごいですね。知らないチームに声をかけてそこで入れてもらうなんて中々できないですよ。本当に野球がやりたかったんですね。
「したかったねーほんまに。日曜日とか同級生の作った自分たちのチームがあるんやけど、朝一の試合ならまだ仕事前にしてから仕事できるんやけども、その時間ばかりじゃないから参加できず、後で結果だけ聞いてたら『やりたいなー』って気持ちがめちゃくちゃあって。結局我慢できずに知らないチームに声かけたもんね(笑)」
ーいいですね。やっぱりそうやって仕事じゃない部分で楽しめる場所があるのはいいですね。僕もたまにサッカーをやれないとストレスが溜まるんで。
「ストレス溜まるよねやっぱりね。好きなことって、勿論やれば疲れるけど全然違うやん。疲れるんやけどその疲れすらも気持ちよくなるやん(笑)それは大事にしていきたいなと。何を大事にしてんねんって話でもあるけど(笑)」
インタビュー後記
150年という長き激動の歴史の中、これまで変わらず提供されてきた三笑亭の味と空間。多くの、本当に多くの人々がお店を訪れ、そこには多くの笑顔があったことだろう。お店を手伝ったことでお客様にかけられた「美味しい」という声。そしてその笑顔に「誇らしさ」を感じたという酒井さん。それは今の人生を歩むきかっけとなった。きっとそこには積み上げられてきた三笑亭の歴史や歴代店主の想いも重なって感じられたからなのかもしれない。早朝、誰も居ない哀愁を感じさせる店内を見渡しつつ私は思いを馳せた。
2021年6月17日(木)
取材・撮影 :藤川 拓哉
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三笑亭 公式Webサイト
https://sansyotei.com/