勤めていたお茶屋で泣く泣く営業職に、
そこから辿り着いた真髄

勤めていたお茶屋で泣く泣く営業職に、 そこから辿り着いた真髄

前回、企業の経営者へのインタビューとしてSECOND ACCESS(セカンドアクセス)社の西林氏へのインタビューの模様をお届けしたが、同時にますだ茶舗の店主である増田 康秀氏も同席し、お話をうかがっていたので今回はその内容をお届けする。インタビュアーは当運営の永尾で進行していく。

-増田さんはお父さんがお茶屋さんをされていたということですが、最初はどこかに就職されてたんですか?

「僕はお茶屋さんですね。ある意味修行のつもりで。もちろん親父とは別の所でやってました。若い頃は親の下でやるのは、ね?嫌でしょ?(笑)」

-嫌でしょ?って押し付けられましたけど(笑)まあでもそれは増田さんのタイプ的には何か分かる気がします。

「まあ嫌やけど、当時はアホなことばっかやってましたのでね。そろそろちゃんと仕事もしないといけないかなということで、その某お茶屋さんには自分の素性を隠して採用試験を受けて入社しました。

そこでは最初の3年間はお茶の製造法なんかを学んだんですけど、ある日突然『君は若いから営業に行きなさい』って言われて、すごい困りましたね。なんで困ったのかって言うのも、給料が安かったんで別で色々なアルバイトしてたんですよ。だから『営業になってしまったらバイトできなくなるやん』って(笑)

営業って1日の時間がマチマチになりますよね。だからバイト行けなくなるから『それは嫌や~』って言うてたんですけどね、『お前、アホなこと言うな~』言われて(笑)それから泣く泣くですよ。でも1年くらい引っ張ったんですけどね。けど結局営業に行かされることになって。

ますだ茶舗店主

そもそも当時の僕は東京まで行ったこともなくて、それが突然『今日から営業に行ってきて』って言われて新幹線のチケット渡されて『向こうにもう1人いるから行って来い』と。」

-じゃあ営業は東京だったんですか?

「そうですね、東京とあと神奈川が担当でした。月の半分くらいはずっと向こうに居ましたよ。ホテルに泊まって。営業は大きい会社は上司が行ってましたけど、小さめの所は僕が行ってましたね。小さい打ち合わせとかね。」

-うんうん、若手営業の行くとこですね。営業職自体は長かったんですか?

「長かったですね~。8年。もっとやってたかな?結局ほとんど営業でしたね。

でもそんなの営業したからって殆どは売れないじゃないですか。営業に行っても『買うとこ決まってるし、もう来ないでくれ』って言われたり。で、いつも怒られるんですよ上司に。『今日の売り上げはどうやったか?』って確認入る。」

-嫌や~(笑)

「『売れません』って。もう途中から『こりゃもうあかん、売れへんわ』って思って開き直ってしまって、途中からお茶の話もしなくなりましたよ。で、茅ヶ崎の方とか営業でまわってた時に、サーフィンしているオジさんとかに『僕もサーフィンしてますよ~』みたいなそんな話ばっかりして、それで何もしないで帰るんですよ。

でもそれが何回か続いたらオジさんが『お前、お茶屋の営業なのにお茶売らないのか?』って言われて。でも『だってお茶の話しても買わないでしょう?』って僕も(笑)

どうせ上司に怒られるだけだしまた来ましたって言ってたら、オジさんが『仕方ないし買ってあげるわ』って言ってくれて。そこからはじまりですよ。そこから段々と買ってもらえるようになった。そういう事があったからもう自分の中で『お茶の話をしないお茶屋さんでいこう』ってなって。

ますだ茶舗ティースタンドにて

お客さんの中で『この人は車が好きそうだな』『サッカーが好きそうだな』とか、それこそ場所がベルマーレの近所とかなら『サッカーやらないんですか?』みたいな話をしてたら、結局お客さんはお茶買ってくれるんですよ。」

-分かる!(笑)それは分かりますね~。

「分かるでしょ?『お茶買ってください!見本も持ってきました!』って言ったところで、まあほぼ全員が『別にいいわ』ってなる。

営業職を始めた頃は本当に長い期間買ってくれる人なんていなくて『もう辞めよ~』て思ってました。こんなの精神的に辛すぎるし。商品は全然売れないわ、1ヶ月に1回は上司の確認が入るわ(笑)ホテルに帰ったらまず上司から部屋に呼ばれるんです僕。」

-嫌だなぁ~それは(笑)

「で、上司から『どうなってるねん。何がどうなってるねん』って言われて。『いや、そんなん言われても売れませんよ~』って(笑)

でもその当時は何だかんだでまだバブルがちょっと残ってたんで、世の中にはパーティーとか色々あったんですよ。で、そのパーティーに行って全員に名刺配ってこいって名刺渡されて。

それで全部配って、そこからその方々の懐に入って気に入られたことで、最終的には年間で2億円くらいお茶売ったんですよ。」

-それは凄いですね!

「凄いでしょ~?やり手でしょ?せやのに給料は上がらへんし、どういうことやねん言うて(笑)」

-そこは言うべきですよ(笑)「俺これだけ売ってるで~」言うて。

「そんな感じで営業やってました。それでその後に知り合いの所から『来てほしい。仕事手伝って欲しい。』って話がきたのでそちらに移ることになりました。で、そこで働いている中で、僕には子どもがいたんですけど、ちょうど子どもが小学校1年生のタイミングでウチに戻ってきました。

ウチから離れて働いて1周回って帰ってきた感じですね。20歳くらいから外に出て1周回って帰ってきたんですよ。それで今に至ります。」

-それにしても先程の話ですが営業ってそうですよね。これを売ろう売ろうと思ったら売れないですよね。

「それはもう、やっぱりね。」

営業のこつ

-今仕事されてて苦労されてることとかありますか?

「苦労?今ずっと苦労してますよ(笑)苦労の連続ですよ。まあ表には見せてないですが、見せないところがまあ苦労なんですよ(笑)」

-普段考えていることは何ですか?何を考えることが一番多いですか?

「僕はまずは楽しくやっていこうと。自分が楽しくないのにお客さんが楽しくなるわけがないでしょう?後、僕は常々リピーターを増やしたいなと思っていて。お店に来てくれた人にはリピーターになって欲しくて、次また来てもらうにはどうしたらいいんだろう?って思ったら、やっぱり美味しいものを提供しないといけない。

うちのソフトクリームにしても、材料費を落としたらもっと儲かるんですよぶっちゃけ。うちのソフトクリームはまあ原価が高いです。でもそんな商品があるから次の展開ができる訳で。儲けは無いがやっていこう、というのはあります。

ますだ茶舗の抹茶ソフト
採算度外視。碾きたての抹茶パウダーをかけた名物宇治抹茶ソフトは、ますだ茶舗が元祖である。

とにかく商売というのは苦労の連続ですね。理想だけでは食っていけない。この辺りの200m圏内だけでもお茶屋さんが十数件あるんですよ。もう全員がライバルなわけです。だから人と違うことをどうやってやるかを常に考えてる。

他でやってるものと同じものじゃなくて、まずはターゲット層を決めています。僕は元々規模の大きな会社に勤めていたのでよく分かるのですが、大きな所と同じ商売をやっても無理があるでしょ?背伸びをしてやってもしんどくなるだけなので、まず女性ターゲット、子どもターゲットと定めてそれに沿って商品のパッケージングなんかも全部変えたんです。

宇治抹茶100%の商品
パッケージを一新したというますだ茶舗の商品。手に取りやすく種類も豊富だ。

女性がひとりで訪れても手に取りやすいものを考えたのと、子どもに関しては、例えば中学生とかそんなにお茶飲まないですよね?でも本物のお茶というものに辿り着いて欲しいという想いがあって、まずその入り口として入りやすい、試してもらいやすいカプチーノやドリンクをやっています。

それで『お茶って美味しいな、じゃあ本当のお茶ってどんなのだろう?』となった時に、10人いたら1人くらいは流れてくるのかな、とまあこういうスタンスでやっています。やっぱりお茶に携わってますのでお茶が少しでも広まればいいなと。そういう試行錯誤が苦労といえば苦労ですね。なかなかですよ。」

-なるほど。ありがとうございます。この辺りだけで十数件もお茶屋さんあるんですね!

「ありますよ。この辺もそうですし隣の商店街の方にもお茶屋さんありますし、激戦区ですよ激戦区。一乗寺のラーメン屋さんの所みたいな感じですよ。ここでどれだけ自分のカラーを出せるか。日々知恵を絞りながらやってます。」


インタビュー後記

元々は、将来お茶屋として働くための修行にと入った会社で、突然営業職となり商品を売ることの難しさを肌身で感じてきた増田氏。日々もがきながら辿り着いたのが商品の話をしない営業。ある種の営業の真髄とも言える。これから働く人にとって参考になるエピソードになったのではないだろうか。

2021年6月8日(火)
取材:永尾 健次 撮影:大嶋 大樹

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ますだ茶舗
https://masudachaho.com/

インタビュー場所:ますだ茶舗 TEA STAND SHOP